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Better Days

Think Simple. Lead the myself

”考えることをやめる”という選択肢

キャリア

「何も選ばない」生き方のすすめ:NBonline(日経ビジネス オンライン)
宗教人類学--植島啓司さんの人生哲学に考えさせられることが多くありました。

  • 植島:オブセッション(強迫観念)が社会の原動力だからです。一般に高度資本主義社会の発信するメッセージは「あなたには何か不足していますよ」というものです。「自分は満足している」と思っていても、「いいえ、このテレビを買わないと迫力あるワールドカップは味わえませんよ」とか「もっと健康になりたいならこういう治療が必要です」といった具合に、「いつも何かが欠けている」という強迫観念で社会を動かそうとする。

確かに「〜しなければならない」という感覚にいつも囚われている。
それが当たり前で、あたかもそれをストレスと感じないように意識しているかの如く。

几帳面であるとは、すべてに理由を求めることにつながります。そこでは偶然さや曖昧さが許されません。必ず原因を求め、何かに責任を負わせないと満足できないのです。

全てに理由があるといつしか考えるようになっていた。
改めないといけないなと危機感を覚えた。

−−きちんとした因果関係を求めるのは、自然なことではありませんか?

植島:いえ、因果関係の追求が論理的でない場合や、執拗に行われる場合もあります。たとえば、我が子が車に轢かれたとします。「相手がよそ見していた」とか「スピードを出し過ぎだった」という理由で被害者の家族が相手を責めることはいくらでも可能です。

 しかし、「なぜ他の子ではなく、よりによって我が子が轢かれたのか」という根源的な問いに答えはありません。

ここまで論理的な思考がない自分に落胆した。
"ありのままをありのまま受け入れること"の難しさを同時に感じた。

選択の余地があり過ぎることが幸せにつながるかは疑問です。たしかに、生きる上で“自由”は何より重要です。でも、社会心理学者のエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で指摘した通り、自由だと余計にしんどさを抱え込まないといけなくなる。そうなると選択することに対する処方箋が必要になります。

これも「はっ」とさせられた。
今まで「選択肢をたくさん持っている人ほど豊かだ」と思っていた。
そして、自分に子供が生まれたらできる限り、可能性を奪わずに選択肢を与えてあげるようにしたいと思っていた。
しかしながら、自由と引き換えに背負うものの大きさも理解する必要があるんだということを改めて感じた。
つまりは、自分が何かを選ぶ際に、「?これしか選択肢がないと思わないようにし、よりよい選択肢を模索すること」と「?選択肢がこれしかないと思うようにすることによって推進力を増大させること」の2つをバランス良く渡り歩くことが大事なのではないかと思った。

近代を説明する上で格好な例は恋愛小説でしょう。主人公の前に2人の女の子がいて、どちらかを選ばないといけない。たとえば、妻と愛人、恋人とその友人など、あいだにはさまれて主人公はものすごく苦しい思いをする。近代小説はこのテーマがほとんどです。

非常に分かりやすいたとえだった。
老若男女、誰しも共感できるのではないだろうか。

最後に、

自分だけの力ではどうしようもないことを学ぶのが人生なのです。宗教から学びとれることもその本質部分を抜きにしては考えられません。

Planned Happenstance theory(計画された偶発性理論)を思い出した。
計画的偶発性理論 - Wikipedia
全ては偶然の積み重ね。
私達は、自分に降りかかる様々な出来事を自分が想定したものと違っているからといって、すぐさま嫌悪感を抱くことなく、主体的に取り組むことによって、ストレス自体を減らし、よりよい人生を送ることができるのではないだろうか。