行動習慣とモチベーション
違うんだよねぇ、それ。物事は好きだから続けられるものじゃないんだよ。簡単に言えば、習慣なんだと思う。溶け込むことができているか、って所だと思う。
好きだから続けられるワケじゃないよ - GoTheDistance
私は毎日音楽を聴いている。iPod classicで、iPhoneで、自宅のiTunesで。ただ、"聞きたい"という強い衝動に駆られて聞いている訳ではない。タワレコのコピーを拝借するが、「No Music,No life」だからでありそれが当たり前の習慣になっているからだ。だから、gothedistanceさんの考えには、ハッとさせられた。自分にとって一番身近な音楽というもので気づかされた。
僕はクルマが好きで麻雀が好きだけど、それに対して努力してもっともっと上のレベルを目指そうなんて思わない。たまーに思ってはうーんやっぱ楽しいなー、でおしまい。全然続かない。でも仕事やブログに対しては、継続して頑張ろうと思えるし続けていられる。文章を書くのは好きだし仕事は好きだけど、こうやって文章を書いている時は「好き」を既に超えて別の次元に入っている。
〜中略〜
「好き/嫌い」の二元論を超えた所で努力している人は、〜中略〜
「誰々みたいにこういうことができるようになりたい」とか「これができたらシビれるな〜」とか「これをこうしたらもっといいなー」とか、そういう思いがどこかにあるんだと思う。
行動習慣になってしまえば、gothedistanceさんが云われている通り、好きとか嫌いとかって言う感情論ではなく、別の次元に入っているという表現がふさわしいように思う。
自分で自分を動機付けようとする場合、「行動を起こさせる」「行動を継続させる」「行動を評価する」のいずれかをしたいときだ。
ただ、「行動することでやる気が起きる」という"作業興奮"がある通り、行動の主体となる身体は脳からの命令に服従している訳ではなく、身体から発される命令に脳は支配されている。
だから、自分の主体的な意思として、(目的とする)行動を「起こしたい」「続けたい」「正しいかどうか評価したい」と突き動かそうとするよりも、「行動した」「行動を続けている」「正しいと評価している」という行動の結果を"当たり前"という次元に昇華してしまえば、"動機付ける"という発想自体不要になると思う。
できないことをできるようになるのが楽しいし、楽に開けられる未来へのドアなんてどこにもないし、ラクしたら倦怠感しか手に入らない。No Pain,No Gain.
行動変容のステップ
- やらなきゃいけないことに気づく。
- できていない自分に気づく。
- どうすればできるかに気づく。
この一文を見て「別に・・・」と思う人には私は言葉がないが、私を含め「未来のドアを(自分で)開けたい」と思っているのであれば、「1.やらなきゃいけないことに気づく」はできていると思う。
具体的に何をやらなきゃいけないかではなく、"行動を起こすことの重要性に再認識できればいいのであろう。
それを願うのであれば、一つでも多くの行動習慣を身に付けることが必要だと思う。
私もgothedistanceさんに倣いドラッカーを引用。
とにかく外に出て、自分自身を有益な存在にせしめよ。(ドラッカー)