Better Days

Think Simple. Lead the myself

勉強しろと言えば言うほど成績を上げる方法はあるのか

f:id:musicad:20091214230138j:image
なぜ勉強しろと言えば言うほど成績は下がるのか。 - keitaro-news
言ってることと、させたいことのギャップ(勉強と成績)昨日に引き続き、ブコメに触発。

mittason 「なぜ勉強しろと言えば言うほど成績は下がるのか。」これが嘘か真かを裏付けるネタが一切無いし、詰め込み教育への批判と、願望と推測し書いてないぞ。こういう適当な奴にダマされないために勉強は少し役立つYO。 2009/12/14

「勉強しろ」は、"成績を上げること"を目的として、学習の効率に目を向けるのではなく、"勉強している様子"が窺えないために勉強させようと言っている、という側面もある。keitaro2272さんが書いている通り、勉強の量は成績に直結しない。

机に座っている時間で能力が比例して伸びるならば誰も苦労しません。

また、学習塾が"学習の効率"をウリにして、勉強させたい側(ここでは親)の望みどおり知識の量を増やしても、働き始めれば"答えのある問い"よりも"答えのない問い"の方が多いので、役に立たない"勉強"になりかねない。

ただ、ブコメにあある通り、"勉強しろと言えば言うほど成績が下がる"ことを裏付けるネタはない。成績を上げるためだけが勉強ではないのだが、成績を上げるための手段として勉強があることも事実である。また、成績を上げるためだけに勉強していたものが、結果的に"教養"として人生に役立つこともある。そう考えると成績を上げるための手段としての勉強を促すことは必要であり、「勉強しろ」ということも効果のいかんを抜きにして一つの方法として成立すると言える。であれば、「(○○だから)勉強しろ」という○○に当てはまる何かが重要ではないかと思う。

「勉強しろ」と言っている側は、最終目的として「成績を上げさせたい」のであり、効果的且つ効率的な勉強を望んでいるハズである。ただ言われたから勉強をしているのでは、学習効果がないことは一目瞭然のハズである。(「やらないよりは、無理矢理にでもやらせた方がいい」という理屈で、ただやらせるだけの勉強が役に立つと思っている親も存在するのかも知れないが)"○○だから""○○であれば"の○○に勉強する側を考えた理由が必要ではないかと思う。例えば、「自分が医者になりたいのであれば」「自分自身が特定の分野に詳しいことを証明したいのであれば」等々。
本人が「もっと知りたい」「もっと覚えたい」「覚えた知識を使いたい」といった純粋な知的好奇心を持っているか、勉強の目的が"自律的"かどうかが重要なのだと思う。

魅力的な組織を創るリーダーのための「自律」と「モチベーション」の教科書~大手企業がこぞって導入する新しい人材育成メソッド~
真田 茂人
CEOBOOKS
売り上げランキング: 20743
おすすめ度の平均: 5.0
5 互いの「あり方」を高めあう関係を養うために
5 「選択理論」は組織を変える!
5 マネジメントの根底にある人間観